こんにちは、皆さん! 18世紀のフランス・パリを彩った女性、マリーアントワネット。今回は、その壮麗な王宮生活と悲劇の結末を描いた物語を振り返ってみました。
王妃マリー・アントワネット、その生涯は18世紀のフランス・パリにおける過激な歴史的出来事を背景に、彼女が抱えた運命と葛藤、周囲の様々な人間模様と壮麗かつ悲劇的な物語として綴られています。
18世紀の華やかな社交界からフランスの闇へ。マリー・アントワネットの波乱に満ちた人生を通して、彼女の人物像やフランス革命へと繋がる歴史の流れを追体験してみましょう。
本記事では、マリーアントワネットが生きた時代の、フランス社会の息吹と悲劇が交差する物語に改めて心を傾け、またマリーアントワネットを描いた他の作品群にも触れ、当時のフランス社会の一端を知る機会を得たいと思います。
「マリー・アントアネットの生涯」予備情報
「マリー・アントアネットの生涯」は、1938年に公開されたアメリカの映画です。14歳でオーストリアからフランスのブルボン王家に嫁ぎ、18歳でフランス王妃となり、後にフランス革命により、37歳という若さで断頭台の露と消えた王妃・マリー・アントワネットの人生を描いた作品です。本作品は1939年、第11回 アカデミー賞を受賞しています。
【スタッフ】
監督:W・S・ヴァン・ダイク
脚本:クローディン・ウェスト、ドナルド・オグデン・ステュアート、エルネスト・ヴァイダ
原作:シュテファン・ツヴァイク
音楽:ハーバート・ストサート
【キャスト】
マリー・アントワネット役:ノーマ・シアラー
フェルセン伯爵 役:タイロン・パワー
国王 ルイ15世 役:ジョン・バリモア
国王 ルイ16世 役:ロバート・モーレイ
オルレアン公爵 役:ジョセフ・シルドクラウト
メルシー伯爵 役:ヘンリー・スティーブンソン
デュ・バリー夫人役:グラディス・ジョージ
「マリー・アントアネットの生涯」ざっくりあらすじ
オーストリアの皇女マリー・アントワネットは、政治同盟の結婚でフランスの王子ルイ・オーギュストと結婚することになり、14歳という若さで、見知らぬフランスへと旅立ちました。
夢見る年頃のアントワネットにとって、ベルサイユ宮殿は窮屈で面白からぬところでした。
故郷の王宮とは異なるフランス宮廷でのしきたりや、国王の寵愛を受け高慢なデュバリー婦人との対立、それに夫の王子は趣味に没頭しアントワネットを愛おしむこともありません。
そんな不満を抱えるアントワネットは、彼女におもねる取り巻きに誘われ、パリ貴族たちの社交界でダンスパーティや賭博に没頭してゆくようになります。
アントワネットが嫁いでから四年目、突然国王が天然痘で逝去し、オーギュストはフランス国王16世として即位、アントワネットが王妃の位についたのです。
アントワネットは、社交界で知り合ったスウェーデンの貴公子フェルセン伯と交際を続け愛を育んでいましたが、フェルセン伯は王妃となったアントワネットのために身を引きアメリカへ去ってゆくのでした。
やがてアントワネットは王子や王女を産むのですが、宮廷での浪費生活は相変わらず、そしてまた贅沢三昧で暮らす特権階級の貴族たちに一般市民や農民の不満はどんどん募っていくのでした。
食べる物にも困窮するようになった貧しい民衆は、ついに武器を手に立ち上がり、革命を先導する者たちと共にバスティーユ牢獄の襲撃に至ります。宮殿に押し寄せる民衆によって、国王も王妃も子供たちも捕らえられ幽閉されてしまいます。
この危機を知ったフェルセンは、国王一家を外国へ逃亡させるべく画策するのですが、国境までもう一歩というところで発覚、一家は再び捕らえられてしまいます。
裁判が開かれ国王・王妃をはじめ多くの貴族たちに死刑判決が下ります。
国王一家に最後の晩餐が与えられ、翌朝、ルイ16世はギロチンの下に消え、数か月後、アントワネットもまた同じ運命を辿るのです・・
「マリー・アントアネットの生涯」に見る自由と悲劇
マリー・アントアワネットと言えば、池田理代子さんの漫画「ベルサイユのばら」を思い出します。宝塚のミュージカルでもシチュエイションを変え何度も公演されましたね。
どれほど魅力的な女性だったのでしょうか? そしてまた悲劇の王妃となった所以とは?
18世紀のフランス・パリに輝いた女性
マリーアントアネットは、フランス革命期の象徴的な存在として知られています。彼女は、華やかで贅沢な生活を好み、自由奔放な生き方やファッションで当時の人々を魅了しました。
マリー・アントワネットは単に自分の欲求を満たすための浪費というだけでなく、文化や芸術においては社会に影響を与え、また慈善活動を行い、貧困層の支援にも尽力しました。
しかし一方で、彼女の生来の快活な性格や身に着いた王族のプライド、自由気ままな振る舞いは批判を浴び、贅沢な暮らしは庶民の間で不満が高まっていきました。
マリーアントアネットがフランスに嫁いで来たのは14歳、甘やかされて育ったため精神的には未成熟で少女気質を持ち合わせたまま最高位の王妃となったのです。王宮の様々な制約もなんのその、自らの信念と言うより、自由奔放な生き方を曲げず、思いのままに振る舞いたかったし、そうできる環境があったのです。
そんな若き王妃にも、人間として、女性として、母としての苦悩や葛藤があったはずです。やがて革命の渦に巻き込まれていく運命を辿りますが、そんな中にも彼女の強さ・優雅さを垣間見ることができます。
革命により王族は罪に問われますが、裁判でも、断頭台でも、彼女は一国の王妃として凛とした姿で臨みました。富も名声も、家族も全て失い、残されたものはプライドだけだったのでしょうから・・
マリーアントアネットの自由奔放さをどのように評価するのかは、個々の判断に委ねたいと思いますが、歴史に残る彼女の華麗な存在は、今後も人々に忘れられることはないでしょう。
マリー・アントアネット・悪女陰謀説
◆マリー・アントワネットの事情
遠い異国での慣れない結婚生活で彼女はかなりホームシックに陥っていました。
宮廷での不満や鬱積した気持ちはファッションや宝石、パーティー、ギャンブルと、贅沢な趣味の浪費に費やすしかなかったのでしょう。
ヴェルサイユ宮殿内では、常に他人の目があり干渉されるため、離宮のプチ・トリアノンという私邸で過ごすことを好んでいました。
◆不平等・格差社会に不満を募らす民衆の事情
当時、フランスの領地や財産のほとんどは上層の聖職者や貴族たちが所有し、しかも彼らには税金が免除され、年金まで得るという非常に裕福な特権階級にありました。
これに対し、一般庶民には重税が課され生活を圧迫され苦しんでいました。凶作が続き物価は高騰、食料さえままならなくなると国のあちこちで暴動が起こり始めます。
王室・貴族の贅沢な暮らしに反感を持ち、怒りの矛先が不平等な王政に向けられるのは自然の成り行きといえます。
王制を廃止し、自由と平等を勝ち取ろうと、ブルジョワジーと呼ばれる商工業者たちが政治革命を主導、これに農民や下層貴族、兵士・士官たちも続々と加わり革命が進んでゆきます。
悪女のでっち上げは革命派の陰謀?
革命派はこれを推進するため様々な方法で王室や貴族を批判し、不平等な王政・王権を廃し、政権を民衆に移行する啓もう活動を繰り広げます。
マスコミを使い、不平等な税制度、自由と平等の思想、革命の必要性を訴えかけると共に、王宮や貴族たちの贅沢ぶりを風刺漫画にして民衆に流布しました。
中でも、贅沢三昧の象徴として標的になったのは王妃マリー・アントワネットで、彼女の浪費癖や不倫が告発され、更に首飾り詐欺事件で、マリー・アントワネットへの中傷は止まず、フランス王室の名声は失墜してしまいます。
逃亡・幽閉後もマリー・アントワネットが敵国と謀略を謀ったという噂が流れました。
このような彼女にまつわる悪女的風評は、改革派の流布・煽動によるものではなかったでしょうか。噂を信じた民衆により、彼女は国民の敵、裏切り者と悪女の烙印が押されてしまったのです。
マリー・アントワネットの華やかな暮らしぶりは事実のようですが、あくまでも王族としての必要経費内の支出だったとされています。
実際にマリー・アントワネットがどのような人物であったかは、書物や記録から推し量るしかありませんが、本当は自由奔放に生きようとする、快活でおしゃれで話好きな素敵な女性だったのではないでしょうか。
マリー・アントワネットは、絶対王政の凋落の時代に翻弄され、最後は断頭台に散った犠牲者の一人なのかもしれません。
★マリー・アントワネットは四人の子供を得ますが、長男と次女は幼くして夭逝、次男はフランス革命時タンプル塔に幽閉されたまま三年後に病死、長女のマリー・テレーズだけが生きながらえ、17歳で捕虜交換により故国オーストリアへ戻ることができました。
マリー・アントワネット・並び合う個性的な作品
【1938年】マリー・アントアネットの生涯
初めてベルサイユ宮殿で撮影が許可された、最初のマリー・アントワネットの映画です。モノクロですが、豪華な宮殿やドレス、王妃とフェルセン伯爵の美男美女の恋物語や革命の動乱、ラストの悲劇もしっかりと描かれ感銘を受けます。/監督:W・S・ヴァン・ダイク 主演:ノーマ・シアラー
【2001年】マリーアントワネットの首飾り
悪女役ジャンヌが、王妃の親友と偽り首飾りを騙し取る物語です。フランス革命のきっかけともなり、マリー・アントワネットを巻き込み、実際に起こった詐欺事件の顛末を描いた映画です。漫画「ベルサイユのばら」にも登場する“首飾り詐欺事件”を知る私的にはまあまあ面白かったですが、好みにより評価はまちまちといったところです。/監督:チャールズ・シャイア 主演:ヒラリー・スワンク
【2006年】マリーアントワネット
本作は史実の再現より、エンターテイメント的に王妃の青春謳歌といった姿を描いています。豪華な宮殿、ファッション、音楽、スイーツ、恋愛と若い女性の好みを満たす映画。しかし、ストーリーは単調、ラストも中途半端で高い評価は得られていないようです。女の子にとっては楽しい映画かもしれませんが、マリーアントワネットの生涯を知った上で見ないと挫折しそうです。/監督:ソフィア・コッポラ 主演:キルスティン・ダンスト
【2007年】王妃マリー・アントワネット
カナダとフランスの合作テレビ映画。マリー・アントワネットのほぼ真実の人生や彼女が生きた時代の歴史が忠実に表現されていると評価されています。私はまだ観る機会を得ていませんが、ぜひ視聴したいと思っています。歴史好きの方にはお勧めの作品かもしれません。/監督:イヴ・シモノー 主演:カリーヌ・ヴァナッス
【2012年】マリーアントワネットに別れを告げて
シャンタル・トマの小説を原作として、フランスとスペインの合作で映画化。マリー・アントワネットを慕う朗読係シドニーの視点からフランス革命当時の混乱ぶりが窺えます。マリー・アントワネット、ポリニャック婦人、そしてシドニーと、ちょっと同性愛っぽい感覚があります。/監督:ブノワ・ジャコ 主演:レア・セドゥ
★いろいろなタイプのマリーアントワネットが登場。それぞれ趣が異なるので面白い!
マリー・アントワネットとフランス革命早分かり!
フランス革命は、領地を所有する国王・貴族・聖職者が独占していた権力を一般市民へ解放した革命です。
ブルジョワジーと呼ばれる商工・金融を担っていた実力者たちが先導し、自由・平等・人権を旗印に、下層の民衆を巻き込み革命を成功へと導きました。
そもそも革命の原因はフランス経済の低迷にあったと言えます。近隣諸国との度重なる領土戦争で国庫は乏しく、このつけが重税として民衆を圧迫していたのです。
1770年 政治的同盟による婚姻
フランスとオーストリアの間で政治的同盟による結婚が成立、同年五月にオーストリアの皇女マリー・アントワネット(14歳)は、フランスの皇太子ルイ・オーギュスト(15歳)に嫁ぎました。
この結婚で一時的には平和が訪れ、活気が戻り経済も復活と思われましたが・・
1774年 ルイ16世・国王に即位
ルイ15世が逝去したことで、皇太子ルイ・オーギュストがルイ16世として国王に即位、同時にアントワネットはフランス王妃となりました。
新国王の即位で世の中も新しく生まれ変わり人々の暮らしも上向きになるかと期待されましたが・・
1776年 アメリカ独立戦争始まる
フランスはアメリカ独立戦争に介入し多額の国費を投入したため、フランス経済は低迷の一途を辿ります。
そのしわ寄せは重い課税として民衆に押しつけられました。一方、聖職者や特権階級の貴族は税金や年金で優遇されていました。この不平等な制度に不満を持つブルジョワジーと呼ばれる一般市民たちの間に、平等で自由な社会をつくろうという思想が動き始め、これに下層貴族も加わり国中に広がってゆきました。
1785年 首飾り詐欺事件
連年の凶作で収穫量は激減、飢餓と物価高騰により各地で農民一揆が起こります。
そうした中で、王妃マリーアントワネットの贅沢な暮らしぶりは、貧しい暮らしを強いられる民衆の怒りの標的となり、更に王妃を巻き込む首飾り詐欺事件が起きマリー・アントワネットの悪評はエスカレート、国王にもその矛先が向けられます。
1789年 国王三部会を開催・国民議会宣言・バスティーユ牢獄襲撃事件
民衆の圧力により国王は三部会を開催、第一身分の僧侶、第二身分の貴族、第三身分の平民(ブルジョアジー)をヴェルサイユに招集しました。
しかし、この会議では治まらない平民たちは独自の“国民議会”を宣言し、国王と対立します。封建的特権廃止、市民の人権宣言、王権の停止を求め、オルレアン公爵の私邸パレ・ロワイヤルに終結し、武器を手にパリに向けて出撃を始めました。
パリには不穏な空気が漂い、ついにバスティーユ牢獄の襲撃事件が勃発し革命の火蓋が切られます。
食料不足に苦しむ数千人規模の民衆が、武器を手にヴェルサイユ宮殿へ乱入、宮廷貴族たちは逃亡し、国王一家は軟禁されてしまいます。
1791年 ヴァレンヌ逃亡事件・共和国宣言発布
6月、国王一家は、フェルセンや王党支持派の力を借りて脱出したものの、国境近くのヴァレンヌで捕まってしまいます。この逃亡により国民の信頼を失った国王一家は、以後パリの牢獄(修道院内のタンプル塔)に幽閉されてしまいます。
9月には国民議会で、王政が廃止され共和国宣言が発布されます。
1793年 国王と王妃処刑される
裁判で死刑を宣告された国王ルイ16世は1793年1月に、王妃マリーアントワネットも同年10月に、革命広場(現コンコルド広場)でギロチンにより処刑されました。
この後、ロベスピエール率いるジャコバン派が勢力を増し、何千人もの王党派が虐殺されますが、翌年にはクーデターにより彼もまた処刑されてしまいます。
クーデターの後は派閥闘争と同時に軍の力が増し、政治形態も上院・下院の議院内閣制と変わり“総裁政府”が成立しました。近隣諸国への派兵・領土争いが相変わらず続く中、ナポレオン・ボナパルトの名が浮上してきます。
★マリー・アントワネットの生きた時代・18世紀の欧州
AIの美しい画像と共に丁寧な説明がなされています。
「マリー・アントアネットの生涯」まとめ
はい、戦争の気運高まる激動の時代に生まれ、オーストリアの王女からフランスの王妃へ。贅沢三昧をし尽くし、最後には民衆の憎しみを背負って、37歳という若さでギロチンにかけられた悲劇の王妃、マリー・アントワネットの物語でした。
現代、多くの映画や舞台でマリー・アントワネットという女性が繰り返し描かれるのは、彼女の奔放な魅力にあるのでしょうか?それとも上級層から奈落の底に転落した悲劇の王妃に対する好奇心からなのでしょうか?
それにしても、パリオリンピックの開会式にマリー・アントアネットを想起させるような演出にはビックリ!ギロチンも芸術にしてしまうフランスのセンスに驚かされます。
オリンピックを楽しみながら、パリのあちこちに点在するマリー・アントワネットの歴史や女性像に触れ、思いを馳せるのも一興かもしれません。
★それでは、またお会いしましょう。Good Luck!