壮大な歴史が蘇る!「秀麗伝」が放つ圧倒的な愛の力

こんにちは、皆さん! 壮大な歴史が蘇る一大物語「秀麗伝」。古代の中国、前漢から後漢へと政権が移り変わる乱世の舞台を鳥瞰します。「秀麗伝」は、中国史上名君とされる光武帝(劉秀)と、これまた中国史に残る賢后とされる光烈皇后(陰麗華)二人の圧倒的な愛の力が織りなす物語です。

固く結ばれた絆、犠牲的な愛、意地、思いやり、そして謙虚さなど、人間の深い感情と葛藤が描かれます。

本記事では、秀麗伝のドラマティックな物語を紐解き、その魅力と力強さを堪能してみましょう。

目次

「秀麗伝」予備知識

「秀麗伝」は、2016年の中国のテレビドラマ(全50話)です。ベストセラー小説「秀麗江山」を元に、ルビー・リン率いるルビー・スタジオによりドラマ化されました。
ヒロインのルビー・リン(林心如)さんは台湾の女優で歌手でもあり、本ドラマのプロデュース・芸術監督も務め、エンディングではテーマ曲も歌っています。

【スタッフ】

プロデュース・芸術監督:ルビー・リン/演出:林峰、陳権

【主題歌】

秀麗江山(オープニング)歌詞:王休、和匯慧、作曲:林海、王梓同、歌:范逸臣
紅顔江山(エンディング)歌詞:沈永峰、作曲:林海、王梓同、歌:ルビー・リン

【キャスト】

陰麗華(いん れいか)主人公:ルビー・リン(美人心計・岳飛伝~THE LAST HERO~・・)
劉秀(りゅう しゅう)後の光武帝:ユアン・ホン(上陽賦・宮廷女官若曦・・)
劉縯(りゅう えん)劉秀の兄:ゾン・フォンイェン(蘭陵王・古剣奇譚~久遠の愛~・・)
鄧禹(とう う)幼なじみ:ケニー・クァン(香港国際警察・NEW POLICE STORY・・)

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「秀麗伝」ざっくりあらすじ

古代中国、漢の政権を簒奪した王莽(おうもう)の暴政に対抗すべく、各地で様々な反乱勢力が入り乱れている時代のこと。

滅ぼされた前漢の王族の子孫、劉縯・劉秀兄弟たちも人々を苦しめる王莽を倒すため挙兵に踏み切りました。

一方、新野の名門陰家の一人娘、麗華は知性と美貌を併せ持つ男勝りな女性で、学問や剣を共に学ぶ友として、劉秀に好意を持っています。劉秀もまた麗華に心を寄せており、結婚を申し込みますが、麗華の兄に断られてしまいます。

劉秀たちの挙兵を知った陰麗華も、その志に同調し反乱軍に参加し共に戦うことに。そんな中で信頼と愛の絆を深め、やがて二人は結婚の約束をするのでした。

様々な困難を乗り越え共に戦ってきた陰麗華と劉秀ですが、反乱軍の勢力が入り乱れる激動の時代に、二人の縁は翻弄されてしまいます。
劉秀は窮地を免れ勢力の拡大を図るため、地元の有力者との政略結婚を受け入れざるを得ませんでした。納得できない陰麗華でしたが、劉秀の大望のために、やむを得ず、妻の座から身を引くことを決心します・・

その後も劉秀は破竹の勢いで他の勢力を破り、心服させ、ついに皇帝に上り、苦労を共にした陰麗華を呼び戻そうとしますが、それを良しとしない皇后勢力に阻まれてしまいます・・

さてどのような展開がまっているでしょうか?

「秀麗伝」~美しき賢后と帝の紡ぐ愛~

◆「秀麗伝」どんな映画?見どころ

中国の歴史劇映画と言えば、誰もが知る「三国志」あるいは「項羽と劉邦」が有名どころです。その時代を少し遡ったところで、前漢と後漢の分かれ目に起きた動乱については、歴史的にちょっと馴染みが薄いのではないでしょうか。今回記事に取り上げたドラマ「秀麗伝」は、その辺の時代が舞台となっています。

「秀麗伝」は、中国史上、最も優れた名君と言われた光武帝(劉秀)と、中国史上最も優れた賢后、光烈皇后(陰麗華)の二人が、運命に翻弄されながらも強い信頼と愛で結ばれていくラブストーリーです。生死を超えて、時代を超えて、熱い感動に圧倒されます!

まず観ていただきたいのは歴史鳥観図です。漢王朝がなぜ前漢、後漢に分かれてしまったのか?その時代何が起こっていたのか? いやー、百聞は一見に如かず、とても勉強になりましたね。

次に観ていただきたいのは、劉秀(後の光武帝)と陰麗華(後の光烈皇后)の持ち前の性格や性分、精神的な品格です。劉秀も陰麗華も共に学問や剣の修行で切磋琢磨していたようですから、正義感や高い見識を持っていた人物ではなかったでしょうか。ですから、様々な困難を乗り越え、周りの支持を得て、皇帝・皇后まで上り詰めることができたのでしょう。

見どころは、男装した陰麗華、ルビー・リンさんの女傑ぶり、そして臨場感あふれる戦闘アクションです。私は血しぶきのあがる戦闘シーンは苦手です。目をつぶって時々開けて見るといった具合ですが、それでも、迫真の戦闘シーンは圧巻です!

勢力同士の権力争い、嫉妬と陰謀、欲望、裏切り、そして劉秀と陰麗華二人の愛の絆、様々な愛憎が渦巻く乱世の物語に注目しましょう。

★劉秀役のユアン・ホンさんは史劇にとても似合っています!
特に知性的な光武帝となってからの髭顔がとても渋くて魅力的!

◆「秀麗伝」のヒロイン陰麗華(光烈皇后)ってどんな人?

陰麗華は、南陽郡新野の豪族、陰家の一人娘。幼少期から劉秀(後の光武帝)と共に育ちました。青年劉秀が「妻を娶らば陰麗華」と語るほど、賢く美しい女性だったのだろうと想像できます。

勝ち気で男勝りなところもある陰麗華は剣の修行も怠りなく、成長後は男装して陰戟(いん・げき)と名乗り、劉秀と共に反乱軍に加わり活躍します。やがては劉秀に嫁ぎ、仲間たちと共に戦い続けます。

しかし、遠征で地元有力者の姪で郭聖通との政略結婚を迫られた際、心ならずも陰麗華は身を引き、妻の座を明け渡します。劉秀や劉秀を支える周りの人々を思いやった結果の、苦渋の決断だったのです。

その後、光武帝となった劉秀は、共に苦労した陰麗華を貴人として側室に迎えようとします。が、そんな劉秀の気持ちを陰麗華はなかなか受け入れようとしません。陰麗華にも意地があるのです。意地っ張りな陰麗華が小気味良く共感を覚えます。

しかし最終的には劉秀の思いを汲み取り、民心を思いやる治世に邁進する劉秀を支えようと決心します。

後宮に入ると、早速郭皇后とその一族から圧力がかかるのですが、陰麗華は毅然としてこれを退けます。その後、嫉妬にかられる郭皇后が廃され、陰麗華が皇后となります。陰麗華の人となりを知る周囲からは好意的に迎えられたようです。

陰麗華は皇后になってからも質素な生活を続け、親族を政治に参加させないようにするなど、後宮で劉秀を支え政治の安定に貢献しました。
陰麗華は、中国史上最も優れた皇后の一人として、また光武帝から生涯を通して愛された皇后として、後世に伝えられています。

◆「秀麗伝」のヒーロー劉秀(後の光武帝)ってどんな人?

西暦25年、後漢の開祖であり名君とされる光武帝。名前は劉秀。新王朝を倒し、漢王朝を再興し、後漢を建国した人物です。

当初、劉秀は兄の劉縯と共に挙兵するのですが、兄は他勢力との摩擦で殺されてしまいます。劉秀は兄の意志を受け継ぎ連戦し力を蓄え各勢力を統一してゆきます。

戦では常に陣頭指揮をとり、自らも兵士らと共に戦い、数多くの武勇を残しています。歴戦の中「昆陽の戦い」では、100万の新朝軍を相手に、3000人程の手勢で勝利しました。戦略に優れていたのですね。

劉秀は温厚で礼に厚く勇猛な人物と評されています。部下や仲間を思いやり大切にするので、劉秀のために皆が命をかけても支えようとするのです。味方はもちろん敵将さえも劉秀に信頼を寄せ心服するのです

遠征先で有力者劉楊の姪の郭聖通と政略結婚して子供も生まれます。後漢王朝を建国し光武帝として即位した後は、側室の貴人として陰麗華を呼び寄せました。
幼い頃に出会った陰麗華をずっと想い続け、皇帝になっても陰麗華を深く愛した誠実な人のように思えます。

光武帝は人民の安定を図ることに尽力し、奴婢の開放、租税の軽減、学問の奨励、軍士の帰農など数々の功績を残し、その後150年続く後漢の礎を築き上げました。後の歴史においても建国や治世に優れた皇帝として尊敬されています。

★「仕官するなら執金吾、妻を娶らば陰麗華」これは、
後漢書に記された劉秀の有名な言葉です。仕官するなら
高位の武官に、妻に迎えるなら必ず陰麗華だ、とした意味。

「秀麗伝」の歴史的背景・タイムライン

様々な勢力が入り乱れる混戦時代、「秀麗伝」のストーリーがより理解しやすくなるように、時系列で出来事を整理してみました。

劉邦を開祖とする漢王朝の中期、外戚で重臣の王莽により政権は簒奪され、ここで一度漢王朝は滅亡してしまいます。王莽は「新国」を建てますが、その暴政に人民は苦み国内は混乱し、各地で反乱が勃発することとなりました。↓

漢の残存勢力や混乱に乗じた新たな勢力が、打倒王莽を目指し旗揚げする中、劉氏の子孫でもある劉秀とその兄劉縯を中心に結成されたのが舂陵軍(しょうりょうぐん)です。志を一にして集まった仲間たちと共に新野を拠点に挙兵します。↓

劉秀兄弟は、同時期漢の復興を謳い、既に大勢力になっていた緑林軍と手を結び共に戦います。
緑林軍は荊州で力のあった王匡・王鳳らが中心となり、結成された武装勢力の一軍で、これに各地の小反乱軍(新市軍・下江軍・平林軍)が合流し、数万人を抱える大勢力となっていました。↓

その緑林軍の中には、劉秀同様、劉氏の子孫である劉玄という者がいました。劉玄は仲間達に担がれ「更始帝」と名乗り、漢軍の中心勢力となります。漢軍の一員として、劉秀率いる「昆陽の戦い」では、新の大軍を相手に勝利し、劉秀の名が世に知れ渡ります。↓

しかし一方、劉秀兄弟の実力を危惧する更始帝に陥れられ、兄劉縯は殺害されてしまいます。
劉秀は悔しさを胸に秘め、隠忍自重し兄の志を遂げるべく戦い続けるのです。↓

河北に派遣された劉秀は、農民の反乱軍や銅馬軍を鎮圧し兵力を吸収、また地元勢力との政略結婚で独自に勢力を拡大してゆき、その軍勢は数十万に及び膨れ上がってゆきました。↓

山東の農民が集まった反乱軍、赤眉軍もまた大きな新の抵抗勢力の一つでした。
更始帝が即位すると、更始帝に組し新朝打倒に協力しました。↓

西暦23年。更始帝率いる漢軍に攻められた王莽はついに倒され、新国王朝は滅亡に至ります。
15年という短期間の王朝でした。↓

しかし、その後もまだ世の中は混戦状態が続きました。そのうち内輪もめで赤眉軍は更始帝と対立し、更始帝は殺害されてしまいます。そのため緑林軍は自然壊滅、赤眉軍に吸収されることになります。↓

ところが、統治能力に欠けていたのでしょう、大軍勢となった赤眉軍は、大雪や食糧不足に対処できず大勢の兵を失い、また劉秀たちとの対戦で討伐されて消滅してしまいます。↓

劉秀は漢の再興を目指し「光武帝」を名乗り洛陽を都とします。ここから歴史上の「後漢」が始まりました。

★漢中期の動乱は、日本では弥生時代です。福岡県で出土した
国宝の金印「漢委奴国王印」は、光武帝が亡くなる一月前の
西暦57年に、日本からの使者に授けられたとされています。

「秀麗伝」から汲み取る人生哲学・心の糧

「秀麗伝」は、有史初期の歴史を蘇らせる壮大な物語です。この物語から私たちは、今に変わらぬ心と生き方を見つけることができます。物語は、主人公が困難な状況に直面し、愛と勇気を持って立ち向かう姿を描いています。物語を通じて、私たちは信頼や愛という力の重要さを再確認することができるでしょう。

本作は心の有りようや生き方についての示唆を与えてくれます。秀麗伝のヒロイン・ヒーローは、自分たちの信念に基づいて生きる道を選んでいます。夢を追い求め、夢を実現するために全力で努力し、信念に基づき勇気を奮い起こし、決断するのです。困難に直面しても諦めてはいけないと、私たちに成し遂げる力を与えてくれるようです。

「秀麗伝」の登場人物たちは互いに寛容であり、思いやりを持ち合わせています。家族愛、また同志愛という強い絆が、試練を乗り越える原動力となり、心の支えとなっています。他者とのつながりを大切にする、そうした姿勢はより良い社会を作るために重要な心持です。

劉秀や陰麗華の心の強さと優しさは、周りの人々に影響を与えます。愛と思いやりを持って生きることで、人々の心に温もりが伝わります。その心は自分に返ってくるものです。結果、劉秀や陰麗華は周囲の賞賛と支持を得て、賢帝・賢后となり得たと言っても過言ではないでしょう。

また「秀麗伝」は、努力と成長・成功の物語でもあります。登場人物たちは自己超えを目指し、困難を乗り越えるために努力を重ねていきます。現代とシチュエーションは違えど、彼らの姿勢は私たちに勇気を与え、目標に向かって努力することの大切さは十分汲み取れるはずです。

「秀麗伝」の中には私たちが共感し、学ぶことができる心と生き方が詰まっています。物語を通して私たちは、愛という力の素晴らしさや、思いやりを持ち、努力を重ねることの重要性を再認識することができました。ぜひとも日々の生活に生かしていきたいものです。それぞれの人生において、大切な人たちとの絆を大切にし、心豊かな生き方を実践しましょう!

「秀麗伝」まとめ

はい、歴史劇「秀麗伝~美しき賢后と帝の紡ぐ愛~」では、時代の流れや劉秀と陰麗華の愛の絆が描かれますが、注目したいのは、二人が賢帝・賢后となるべくして持っていた、優れた人柄や見識の高さです。

劉秀も陰麗華も、常に学び修練し、成長し続ける姿勢を持ちながら、人々に寄り添い、国家のために尽力しました。その結果、賢帝・賢后としての地位が築かれただけでなく、多くの人々に感銘を与える存在となったのですね。

劉秀と陰麗華は波乱の時代を乗り越え、互いを支え合いながら成長していく姿勢を象徴しています。二人の愛は常に困難に立ち向かう中で、信頼と尊敬に基づいて築かれていきました。

この物語を通じて、私たちは多くの感動を受けることができました。本作品「秀麗伝」の物語から学び感じことを大切にし、自身の人生に活かしていくことができたら素晴らしいですね。

★それでは、またお会いしましょう。Good Luck!

本ブログはSWELLを使用しています
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この記事を書いた人

居所地:日本の中央山岳地域で田舎暮らし
映画・TVドラマ大好き人間
古代ロマン・スピリチュアル小説ファン
Pen name:東岳院展大
Blog nickname:福徳星人

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